開運神社仏閣巡り116

皆さんは、兵法家の尉繚子うつりょうしをご存知ですか?

兵法だと孫子が有名ですよね。
秦の始皇帝または、魏の恵王に仕えた方と言われています。

天官篇
魏恵王が尉繚子にました。

恵王
黄帝が百戦百勝することができたのは、勝ち負けを占ったからだといわれているが、お主はどう考えるか

尉繚子
黄帝はあくまでも人事を尽くしただけだと思います。
城攻めを例に取りましょう。
四方から攻め立てても落すことが出来ないとします。方位学に従えば、どれか1つは良い方角にあたれば、攻め落とせることになります。 しかし現実はそうではありません。また逆に守りが不十分であれば、どの方角からも攻め落とすことができます。
これで明らかなように、いくら吉凶を占ったところで、人事を尽くすことには及びません

また、

方位学によれば、河を背にした布陣や山坂を前にした布陣は、敗北するはずです。しかし周武王が商紂王を討ったときは、済水を背にし山坂を前にしながら商軍を討ち破っています。
楚の将軍公子心が斉軍と戦ったときなども、斉が勝利するという彗星が現れましたが、公子心は『彗星が何だ』と笑い飛ばしたそうです。

勝つのだと言う指揮官としての不屈の精神のもと、全軍一丸となって、斉軍をさんざんに破ったといいます。
天文だ方位だといっても、結局は、人事を尽くすことが先決です。

と言ったそうです。ハッキリとした年代は定まってはいませんが、秦代だとすると、紀元前200年前後、
今から2,300年ほど前ですね。

人事を尽くして天命を待つ

と言いますが、スピリチュアルで、考え方を変えたら、夢が叶ったとか、龍神様がついてやることなすこと、開運に向かうとか、言いますが、愚僧のように紆余曲折、御神仏は、崇拝して御仕えする偉大なる御霊であって、愚僧のような凡夫が軽々しく内願を申し上げる存在ではないと、言うことです。
だからと言って全くお願いごとをしてはいけないとは申しません。

愚痴泣き言の多い私ではあります。
ただし、自分で考えて、考え抜いて、最善を尽くす。

もう少し
もう一歩

足らないところを
すがる。

丸投げはダメだと思います。

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