開運神社仏閣巡り114
会社経営で5年間厳しいを過ごしたのですが、正直、修行の方が遥かに樂でした。
何故なら、終わりが見えているからです。毎日決まったことを決まった通りに行う。
人によって価値観が違います。
得手不得手があります。
愚僧には、修行は心良いことでした。まともにお経を読めない、意味もわからずに平仮名を辛うじて読んでいる時から、読まされいて、読めるようになり、修行が進むと、天の声が聴こえるようになる。超能力者になれるんだと、信じて疑わず、振り仮名を毎日読んでおりました。
しかし、小学校に上がり、中学校に上がり、高校に上がって、一通りのお勤めができる。お経の意味がわかるようになっても、特に超能力というものが与えられるということもなかったです。
初めは、耳に聞こえたり、実際に目で見えると思っていたのですが、違いましたね。
心に入ってくる。
目で見えるのではなく、脳に姿が結実する感じなんですよ。
本当に目に見えたのは、小学校3年生の頃、壁にハッキリと、お不動さまが見えました。
それも一度だけ。
あの体験があったので、自分も超能力者になれるのだと、深入りしてしまったんですよ。
宿縁ですかね。
お不動さまは、お内仏としてお祀りしていますが、あれ以来、現前されたことはありませんし、特にお言葉を賜ることもありませんね。
粛々と淡々と
なんだそうです。
お不動さまの真言、慈救呪ジュクジュといいますが、軽く100万遍は超えていますね。
虚空蔵菩薩さまの真言、こちらもですが、凡人の凡人たる所以です。
なーんにも感得することもありませんでした。
残念!!
しかし、最近思うのですが、法要に出勤してお経を唱えます。日々のこうした積み重ねが、自らの信念となっている。
ということです。
ただ問題なのが、こどものころから、功徳を求めて始めたことなので、あれもこれもと広がり、宗派を超えてお勤めしているため、祝詞から始まり、懺悔、帰依、般若心経は当たり前として、
阿弥陀経、無量寿経、普門品、寿量品などなど、主要なお経さまを唱えます。そんなわけで、まともにお勤めすると2時間くらいかかってしまいます。
榊、供花の水換え、お水、御神酒、御供えをすると悠に3時間コースです。
ですから、超高速読誦になります。
宗派には宗派の決まった作法があります。
もちろん、本山出勤のおりには、作法に従いますが、自坊では、宗派を超えて有用なるお経さまを読経させていただいています。
異端との誹りを受けそうですが、享受いたします。
お経即ちお釈迦さまの金言は遠くインドの地から、日本に伝わりました。偽経との誹りを受けるお経さまもあるのかもしれません。
愚僧は大学院で7年間、お経について学びを得ましたが、結果として、あまりにも深淵すぎて、ちんぷんかんぷん。
一つだけわかったこと。
それは真剣に読経していると、魂が鎮まることです。
お経は本来の意味として、お釈迦さまの教えの学びです。こちらはこちらで柊生の課題として進めてまいります。
しかし、愚僧のような愚鈍なものにできることは、ただ一つ、真剣に読経すること。
一期一会
を大切にすることですね。