供養 part63 先祖供養の意義2

前回話が出ました、三貴神とは三貴子ともいいます。ミハシラノアメノウズメノミコト『古事記』で黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命が禊で黄泉の汚れを落としたときに最後に生まれ落ちた三柱の神々のことです。イザナキみことが自らの生んだ諸神の中で最も貴いとしたところからこの名が生まれました。

天照大神、素戔嗚命、月読命のことです。

このような高貴な神様は御姿をお見せになることは、まずないと思います。
御神使や御眷属さまさえ、御姿を見ることさえ叶わないのに、神様からお呼びがあったとか、メッセージをいただいたとか。
愚僧の力不足なのか?

先日、某社で外陣に上がり、真剣に読経してました。檀信徒の方々の代参ですね。

真剣にお経を唱えていたら、横に小僧が出てきて、からかって帰っていきました。笑わせようとしたんですよ。笑ってしまいました。
そうしたら、おばさんが出てきて、手を引っ張って連れて行きました。
この2人とも、生きてる人間ではありません。神さまのお使いです

まわりの人←生きてる人間、からすると、異常な人に映っているんじゃないかな?と

ニヤニヤと、お経を唱えていたかと思ったら、急に笑いだす。

不気味ですよね。

最近は真面目に法要で読経している時にも、邪魔されることがあるんです。

天邪鬼アマノジャク

何でしょうかね?

ですから、私が直接お声がけいただけるのは、御神使の下っ端、とは言っても、遥か上の存在ですけどね。

ここまで来るのに、半世紀ですよ。50回以上通ってやっと、お目見えなんです。

御利益いただける道は遠い。果てしない。

だから、
だから、
だから、

御先祖さまに、
お願いするのが、
いいのです。



Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です